ブログっ...!

最近はミソフォニアのことばかり書いています。もうミソフォニアブログです。

くずのつぶやき

すごく好きな作品の作者との会話を思い出した。

私「なんでこんなの作れたんですか?」
A「毎日朝から夜まで作業する。周囲の馬鹿にする声は気にせず、悩んだら寝て起きたらまた始める。」
私「なぜ自分はこんなことをしてるか意味は考えたりしない?」
A「考えないですね」

そういう人間になれたら人生様々な可能性がある、かっこいいし羨ましい。
人を感動させることもできる。
残念ながら自分とは無縁の能力だと思った。

私のように時間を無駄に使うこともない。
人生何もしないには長過ぎる。
精神の健康のためには(生きることの意味を自分の中に留めておくためには)、何かをすることが必要だ。 それができない。

「なぜしなくてはいけないの」
そういう下らない問にやる気をなくして、考えることさえ放棄する。
いつまでも自分の心動かすものを待っている。 いつか、自分の可能な限りの時間を全てつぎ込むほど夢中になれるような何かがくるのを待っている。

まあ、でも言ってしまえば、なんてダサい人間なのだ。 頭ではわかっているんだけど、ねえ。。

「なぜしなくてはいけないの」
という問に万人が納得できるような答えを与えられる人はまずいない。
まず、そういう解答は存在しない。
自分の思考世界で閉じるような(自己満足できるような)理由ならば存在するが、それは一歩その人の思考世界から離れてしまえば効力を失う。

だから理由がほしいのならば、自己完結するしかないのだ。
そして自己完結させるには何かしらの思い入れがないといけない。
例えば、「xxするのが好き。」「自分にはxxしかない。」とか。
思い入れが思い込みに発展し、理由となって、執着になる。
この思い入れを生成するには、まず「何かを始める」しかない。

なのに、始める前から「なぜやらないといけないの」と言って、理由がないからはねつける。

自己完結できる人は、「他人がなんと言おうと自分はこう思うのだ」と強い意志をもって日々の時間を積み上げ、そしていつか成し遂げて、その集中力や執着心や熱意の結晶とも言える完成品で人々に感動を与える。
その姿のなんとかっこいいこと、羨ましいことか!!

まあ、ようするに暇なんだな。
あるいは「本来なら忙しいはず」なのに、逃げていて、時間が無駄にあるんだな。
日々作業に終われ、忙しく走り回る生活ならば、理由が定かでなくても「やらなくては」となるのだ。

退屈は一番の病だと脳化学の先生が言っていた。

「ではやればいいんじゃん」と言われても、やろうという気分にならない。
それでも前にはいくつもの課題があって。
速く片付けなければいけないのに、やろうとするとすぐに集中力がきれ、別のことを始める。
一度好奇心がつくと、寝ないで作業することもあるが、ほんとにごくたまに。

人間やることがないと、意味を失うから死にたくなるのだ。
生きる意味を考えることをせっかく放置したのにこのざま。
あー、ださい。

楽して死ねるボタンがあるなら今すぐ押してしまいたい。
または、感情や意識を失くしたい。